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宮崎地方裁判所延岡支部 昭和35年(ワ)177号 判決

原告 伊藤英雄

被告 前田陸送株式会社

主文

被告は原告に対し金四十六万五千四十円を支払え。

原告その余の請求を棄却する。

訴訟費用はこれを十二分し、その一を原告の、その余を被告の負担とする。

事実

原告訴訟代理人は、「被告は原告に対し金五十万円を支払え。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決を求め、その請求原因として、

一、原告は、昭和三十五年一月二十五日午前六時五十分頃、肩書住所を自転車に乗り勤務先である延岡市十貫所在の訴外地塩舎の工場に向け出発し、延岡市中央街に通ずる国道を北進中、かねてから顔見知りの訴外小田林が同様自転車に乗り進行しているのに出合い、挨拶を交わして同訴外人の後方約三米の間隔をおいて追尾進行して同市伊形町石田町入口附近に差し掛つたところ、同所は幅員約七米で見透しもよくきくところでありしかも原告等は右道路の左側を進行していたのにも拘らず、右国道を南進して来た被告会社の常傭自動車運転者訴外中村こと葉山知記の操縦せる大型トラツクが道路の中央線を超えて原告等の進路を妨げるように進行して来て遂に訴外小田林及び原告の乗つていた自転車に順次衝突した。そのため原告は自転車から転落側溝に落下せしめられて加療に八箇月以上を要した筋肉挫断を伴う右前腕挫創及び撓骨骨折、右肩関節部打撲、背部打撲右手部擦過傷、右下腿擦傷等の傷害を蒙つた。(以下右事故を「本件事故」と略称する。)

二、被告は前記自動車を自己のため運行の用に供していたところその運行によつて本件事故を惹起せしめたから、自動車損害賠償保障法第三条本文に基づいて、本件事故により生じた損害を賠償すべき義務がある。

三、原告は本件事故により次のとおり損害を蒙つた。

原告は明治三十四年五月十日東京都港区において出生し高等小学校卒業後鳶職をして本件事故当時まで生計をたてて来たものであり、過去一、二年の間の月収は平均二万円であつた。

原告は本件事故により前記の如き傷害を蒙つたため富田病院に約一週間入院し退院後も三箇月間通院加療したが全治せざるためその後も昭和三十五年八月頃まで自宅において加療した。しかしながら原告の蒙つた右撓骨骨折は完全治癒の見込みがなく僅かに疼痛から脱し右腕が動かせる程度に回復したに過ぎない。

原告は、本件事故による受傷当日の昭和三十五年一月二十五日から同年八月末日まで治療の為休業せざるを得なかつた。当時原告は訴外地塩舎に鳶職として勤務していたのであるが、その収入は日給四百五十五円で残業手当を加算して平均八百円であつた。従つて、右休業により原告が蒙つた損害を計上するに当り一日の収入を右金額の範囲内の金六百二十七円とし(この日収額の計算は原告が傷害を蒙つた当時地塩舎に勤務し日給四百五十五円でこれに残業手当を加え約八百円の収入があつたので、この八百円と固定給との差額三百四十五円を折半してその半額を固定給に加算したものである)、一箇月の就労日数は少くとも二十五日であつたから、その月収額は金一万五千六百七十五円であり、休業期間を計算の便宜上七箇月とするとその間の金額は金十万九千七百二十五円となり、これが本件事故により原告が休業を余儀なくされた為蒙つた損害額ということになるのである。

又原告は本件事故による受傷が一応回復したとはいえ前述の如く不完全治癒であるため労働力の低下を招き本来職業として来た鳶職は出来なくなりその手伝程度の仕事しか出来ない状態になつているのである。しかして、原告が現在鳶職の手伝をして日給九百円を得ているが、仮りに完全な身体であるとすれば鳶職として勤務できるのでありその場合には一日千五百円乃至千六百円の収入が得られるのである。従つて、原告の労働力の低下を右の原告の就職状況から推論すると、その低下率は四十パーセントと言い得るのである。原告は前記の如く明治三十四年五月十日生れであるからその平均余命は十四年一五である。そして原告が満六十五才まで本来の職業である鳶職をなし得るものとすれば尚五年八箇月九日は就労し得ることになるのであるが、前述の如く労働力の低下を招来し鳶職として就労できなくなつているところ、計算の便宜上就労可能期間を昭和三十五年九月一日より五年間とすれば、右労働力四十パーセント低下の為に喪失する収入額は、一日平均六百円の損失を招きその一箇月の就労日数を二十五日とすれば一箇月一万五千円、一箇年で十八万円の損失額となるから五箇年の損失額は九十万円となるが、この将来の損失額を中間利息控除のためホフマン式計算によつて算出すると

900,000円/(1+5(期間)×0.05(民事法定利率))=720,000円

となるのである。

又原告は本件事故による受傷のため肉体上並びに精神上多大の苦痛を蒙つたが、これが慰藉料としては金五万円が相当である。

そうすると原告の蒙つた損害額は、以上を累計した金八十七万九千七百二十五円となるが、そのうち自動車事故による障害保険金十万円と休業手当金三万円を得ているから、夫々差引計算して金七十四万九千七百二十五円が実際上の損害となるが、その内休業並びに労働力低下のために蒙つた損害額金四十五万円と慰藉料金五万円の合計金五十万円の賠償を求めることとする。

よつて、本訴請求に及んだものである。

と述べた。(立証省略)

被告会社代表者は、「原告は訴外中村知記が被告会社の常傭運転者であるというが、被告会社に常傭運転者は居らず、同訴外人は被告会社の下請業者である。従つて、原告が被告を相手方として本訴を提起したことは間違いであつて、右訴外中村知記を「被告」として訴を提起すべきものである。よつて、被告は原告に対して損害賠償をなすべき義務はない。」と述べた。(立証省略)

理由

成立に争いのない甲第一号証、同第三乃至第六号証、同第九乃至第十二号証及び原告本人尋問の結果を綜合すれば、被告はメーカーの依頼を受けて商品自動車の陸上運送を目的とする会社であり、訴外中村こと葉山知記は昭和三十三年頃から被告会社に陸送運転者として雇われ前記自動車の陸送運転の業務に従事していた事実、昭和三十五年一月二十四日午後五時頃訴外中村こと葉山知記は被告から普通貨物自動車(トヨタ一九六〇年型、福岡臨時運行標示板九六八四号)を宮崎市まで陸送することを命ぜられ、同日午後六時頃右自動車を運転し大分経由宮崎市に向け出発した事実、そして翌二十五日午前六時五十分頃、右訴外中村こと葉山知記は出発に際し同日午前八時までに宮崎市に到着するよう命ぜられていたので制限速度毎時二十五粁を超過した毎時四十粁で該自動車を運転し延岡市伊形町石田町入口附近の国道を南進していたところ、同訴外人は長途の運転に疲労していた上右自動車につけていた臨時運行標示板が期限切れのものであつた為折柄耳にしたサイレンの吹鳴音に驚き交通係の警察官に追跡されているものと思惟し後方を気遣いながら運転していたため、前方注視の義務を怠り幅員七米余りの右道路の中央線を超えて道路の右側を進行し、前方三米の至近距離において左側通行の規則に従い自転車に乗つて北進して来る訴外小田林を発見し、正面衝突の危険を感じ急遽ハンドルを左に切つてこれを避けようとしたが及ばず、自己の操縦せる前記自動車を右訴外小田林の乗つている自転車に衝突させて同訴外人を路上に転倒させ、次いで右訴外小田林の後方三米のところを同様自転車に乗り北進していた原告の乗つていた自転車にも衝突させて原告を同所側溝内に転落せしめ、そのため右訴外小田林を死亡せしめ、又原告に対しては筋肉挫断を伴う右前腕挫創及び撓骨骨折、右肩関節部打撲、背部打撲、右手部擦過傷右下腿擦過傷等の傷害を負わせた事実を認めることができる。しかして、被告は、訴外中村こと葉山知記と雇傭関係はなく、同訴外人は被告会社の下請業者であつたというけれども、そのような事実を認めるに足る証拠は本件においては何等存しないし、他に右認定を左右するような証拠は存しない。

右認定したところによれば、被告は自動車損害賠償保障法にいわゆる「自己のために自動車を運行の用に供する者」に該当すると認められるところ、被告は同法第三条但書に規定する免責要件の存在を主張立証しないから、同条本文に基づき原告が本件事故により蒙つた損害を賠償すべき義務を負担していると言わなければならない。

そこで次に本件事故により原告が蒙つた損害について検討する。

前掲甲第一、四、五号証、原告本人尋問の結果を綜合すれば、原告は明治三十四年五月十日生れの男児であり、二十二才頃から本件事故に遭遇するまで引続き鳶職をしていたもので、本件事故当時も旭化成工業株式会社の下請をしていた訴外地塩舎に鳶職として雇われていたものであり、その頃の収入は固定給として日給四百五十五円に残業手当を加算し一日約八百円を得ていた事実、原告は本件事故により前記認定の如き傷害を蒙り延岡市所在の富田病院に一週間入院して治療を受け、退院後も約三箇月通院加療し、昭和三十五年四月十六、七日頃一応回復したが、医師は未だ無理をして働かないようにと注意したけれども、仕事をすると疼痛を覚えるので湿布をしておつたもので、このような状態が同年八月まで続いた事実、このようにして原告は勤務先の地塩舎を八十七日間休業し、その後再び稼働するようになつたが、受傷した右腕の機能が完全に回復しない為、従来本業として来た鳶職はできなくなり、稼働するようになつてもその手伝程度のことしかできなくなつた事実、その後原告は昭和三十六年九月頃から名古屋市に出稼し発電機の解体の修理をしている訴外松本機械工業に工員として勤め日給九百円を得ている事実、現在鳶職として働けば少くとも日給千五百円は得られる事実を認めることができ、右認定を左右する証拠は存しない。

原告は、本件事故により受傷してから昭和三十五年八月末日まで七箇月以上休業した旨主張するけれども、右に認定したように原告は本件事故により受傷した同年一月二十五日から八十七日間休業していたことは明らかであるが、前記認定したところからすればその後は湿布などをして治療を加えながらも就労していたことが窺われるのであつて、右原告主張の如く同年八月末日まで引続き休業していたことを確認する証拠は存しないところである。

そうすると、原告の休業期間は八十七日間ということになり、原告は休業がなかつた場合の収入額算定の基礎として前記認定した日収八百円の範囲内である金六百二十七円の限度において主張するものであるところ、右金額と休業期間を基礎として計算すると、原告が休業せずに右期間就労していたとすれば得たであろう収入額は金五万四千五百四十九円となる。

ところで右休業期間の休業手当として原告が金三万円の給付を受けこれを控除することは原告の自陳するところであるから、右金五万四千五百四十九円からこの金三万円を差引いた金二万四千五百四十九円が休業により原告の蒙つた損害額ということになる。

次に労働力の低下により喪失すべき得べかりし利益につき考察する。原告が本件事故により筋肉挫断を伴う右前腕挫創及び撓骨骨折等の傷害を蒙り治療を加えたが完全治癒に至らず右腕の機能が回復しないため、永年本職として来た鳶職ができなくなり、昭和三十六年頃から日給九百円の工員として作業の手伝程度の労務に従事しているが、本来の鳶職がなし得た場合は日給千五百円を得られる事実は既に認定したところである。そして原告の右腕の機能が将来においても回復し難い状況にあることも既に認定した事実より充分窺知できるところである。従つて、このような原告の身体的状況、就労状況等からすれば、原告は通常の身体状況の場合に比し少くとも四十パーセントの労働力の低下を来たしていることが推認される。ところで、第九回生命表によれば満六十才の男子の平均余命は十四年一五であることは明らかであり、原告が通常の身体状況の場合には満六十五才までは鳶職として稼働し得ることは充分考え得るところであるから、原告が主張する昭和三十五年九月一日から五年間は優に右稼働期間と認めることができる。そしてこの頃から各種職人の日給が高くなつて来たことは周知の事実であり、原告本人尋問の結果によつても延岡市方面においても鳶職の日給が千二百円程度になつていたことが認められ、又名古屋市方面に出稼した後の状況も前記認定の如くであるからこの場合原告が四十パーセントの労働力の低下の為失う収入額は原告が名古屋市に出稼に行く前の昭和三十五年九月一日以降一年間は一日金四百八十円、名古屋市に出稼に行つてからは一日金六百円と認められ、原告本人尋問の結果によれば一箇月の就労日数は二十五日を下ることがない事実を認め得るので、右出稼前は一箇月一万二千円、一箇年で十四万四千円の、右出稼後は一箇月一万五千円、一箇年で十八万円の損失額となるから、前記五箇年で合計八十六万四千円の損失額となる。これをホフマン式計算法により年五分の中間利息を控除すると現在において賠償を請求し得る金額は六十九万一千二百円となる。

ところで、原告が本件自動車事故により障害保険金十万円の交付を受けこれを控除することは原告の自陳するところであるから、これを右金六十九万一千二百円から差引くと金五十九万一千二百円となる。

原告が明治三十四年五月十日生れの男子であり、二十二才頃から鳶職をしていたが、本件事故により前述の如き重傷を負い、長期間治療に専念するも右腕の機能の完全な回復を得られない状況にあつて本職の鳶職もできない状態に立到つている事実は前叙のとおりであつて、原告の受けた精神的苦痛は甚大なものがあると認められるので、前示負傷の程度、その後の状態等諸般の事情を斟酌し、原告の精神的損害を慰藉すべき金額は金五万円をもつて相当と認める。

しかして、原告は、本件事故により休業を余儀なくされた損害額を金十万九千七百二十五円、労働力低下により喪失した得べかりし利益の金七十二万円と夫々主張し、これらの合算したものの内金四十五万円と慰藉料金五万円の合計金五十万円の賠償請求をなしているところ、右金四十五万円のうちに占める休業による損害額と労働力低下による損害額は明示されていないが、これは前記原告の主張額により按分して休業による損害額を金五万九千五百九円、労働力低下による損害額を金三十九万四百九十一円の合計金四十五万円の賠償請求をしているものと解するのが相当である。

そうすると、休業による損害額は既に述べたように金二万四千五百四十九円であつて、これに関する原告の請求のその余の部分は理由がなく、労働力の低下により喪失した得べかりし利益は前記認定額の内原告請求の範囲と認められる金三十九万四百九十一円を認容すべきものであり、又慰藉料は金五万円をもつて相当とすること前叙のとおりであるから、被告は、原告に対し、これらを合計した金四十六万五千四十円を賠償すべき義務があるといわなければならない。

よつて、原告の本訴請求は右に理由があると認めた限度においてこれを認容し、その余は理由がないから棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八十九条、第九十二条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 安芸保寿)

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